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ナワ・プラサード

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営業時間12:00~20:30 定休日無休

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2016-06-05 いじられた、たね。小さな種の大きな問題! 映画上映会 『遺伝子組み換えルーレット ~わたしたちの生命のギャンブル』&トーク 印鑰智哉+中野陽子
 先日、映画『遺伝子組み換えルーレット…』を見て来ました。遺伝子組み換え作物GMOは栽培する過程でも、食することでも、様々な健康被害を引き起こすという実態にショックを受けた。日本では表示義務があるから大丈夫と思っていても、その基準は非常に甘く、GMO飼料を食べて育った家畜の肉や乳には表示義務がないし、油や醤油などにもないという。日々、知らず知らずのうちに食べてしまっているGMOについて考え学ぶことで、避けることは可能になるのです。ひとりひとりが声をあげていくこと、選ばない選択をすることで未来の食の安全、私たちの健康が取り戻せるのだと思います。多くのひとに見てもらいたいです。上映後には、映画の翻訳監修をされた印鑰智哉さんに世界と日本の遺伝子組み換えの現状について、中野陽子さんに消費者の力について、お話があります。(結)
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いじられた、たね。小さな種の大きな問題!

映画上映会
『遺伝子組み換えルーレット
~わたしたちの生命のギャンブル』
&トーク 印鑰智哉+中野陽子

6月5日(日)1:30~4:30pm

お話:印鑰智哉(オルター・トレード・ジャパン政策室室長)
+中野陽子(消費生活コンサルタント)

参加費/1,700円
★要予約:tel 03-3332-1187 または、hobbit@ea.mbn.or.jp

ほびっと村学校:
http://www.nabra.co.jp/hobbit/

 人による作物の栽培と生き物の飼育は、風土条件を前提に固有の生活文化に応じた多様な手法で何万年も続けられ品種改良もおこなわれてきた。しかし、全く新たな性質を持つGMO(遺伝子組み換え作物)が、自然界では絶対に起きることのない、種を超えた遺伝子どうしへの介入により生み出され、臨床実験から導かれた多くの科学者の反対意見を無視する形で1996年に商用解禁された。この映画では、米国における人、家畜、ペットの病気がGMO流通量と比例して増えている様々な例を取材し、その対策を示している。利益を最優先させる大企業が、政府と組んで粛々と「良くない」ことを進める無情なありかたが原子力産業の姿勢とも実に似通っている。
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『遺伝子組み換えルーレット
~わたしたちの生命のギャンブル』
原作・脚本・プロデュース・監督:ジェフリー・M・スミス
原題:Genetic Roulette: The Gamble of Our Lives
制作:Institute for Responsible Technology(IRT)/85分/米国/2012年/日本語字幕
日本語版製作/ドキュメンタリー映画『遺伝子組み換えルーレット』日本語版製作プロジェクト

 米国で起こっている遺伝子組み換え食品による健康被害――。この作品では医学・医療関係者、政府の食品安全審査に関わる研究者、自閉症やアレルギーに苦しむ子どもの親たち、家畜の健康障害を扱った獣医など、多数の証言と科学的根拠からその実態を浮かび上がらせます。 遺伝子組み換え問題の専門家として国際的に著名なジェフリー・M・スミス氏が制作した本作品は、米国で注目を浴び、GMO食品の安全性を問う議論を活性化し、米国のGMO反対運動に大きく貢献しました。

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印鑰智哉(いんやくともや)
 『遺伝子組み換えルーレット~わたしたちの生命のギャンブル』翻訳監修。草の根の経済活動によって作る人にも、食べる人にも安心な食べ物を交易する会社、オルター・トレード・ジャパン政策室室長。特にブラジル、南米関係を軸に、グローバリゼーションにさらされる市民社会の抱える諸問題を追う。http://blog.rederio.jp/

中野陽子(なかのようこ)
 消費生活コンサルタント。生活協同組合パルシステム東京監事。消費者リテラシー向上のために同志社大学大学院で学び、「食品表示を用いた教育プログラム」を2015年に開発。2015年まで18年間にわたり布ナプキン「月のやさしさ」の製造販売を行っていた。